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深川、舞台上でアキレス腱断裂 (1975)
国立歌劇場バレエにおける事故
1975年4月21日 (月)AZ新聞
深川、舞台上でアキレス腱断裂
バイエルン国立歌劇場のバレエ部門に不幸が続いている。ソリストたち、ギスリンデ・ス クロブリン、ハインツ・ボースル、ユーリ・ヴァーモシュ、シュテファン・エアラーは現在、病気や怪我で全く出演できない。そして土曜日の夜、次の一撃が襲った:アシュトン のバレエ「リーズの結婚」の上演中、コーラス役の日本人ソリスト深川秀夫(25)がアキ レス腱断裂に見舞われたのである。第一幕は深川抜きで最後まで踊られた。二幕はマチャ ス・ユルコヴィスが少なくともパントマイムの部分は引き継いだ。しかし、コーダのグラ ン・パ・ド・ドゥは水の泡と消えてしまった。 それが起こったのは、第一幕第二場だった。深川秀夫とパートナーのロディカ・シミオン がグラン・パ・ド・ドゥのために舞台に足を踏み入れた。シンプルな動きで(深川曰く「僕 は全く飛び上がってもいないのに」)、確かに聞こえるようなパチンという音とともにアキ レス腱は切れた。深川曰く、「何がどう起きたのか、全然わからない。突然、何かが切れた ような音が聞こえた。なんの痛みも初めは感じなかったが、痛みはずいぶん後になって襲 ってきた。」
深川は冷静に、足を引きずりながら舞台から下がった。多くの観客は全くこの事故に気づ かなかった。ロディカ・シミオンはパ・ド・ドゥを独りで最後まで踊った。そして幕は下 りた。バレエ・ディレクターのディーター・ガックシュテッターが幕前に進み出て、公演
は深川抜きで続けられる旨を告げた。 舞台裏、バイエルン国立歌劇場の救護室では心を動かされるシーンが繰り広げられていた。 深川秀夫は静かに声も立てずに泣いていた、体の痛みではなく心の痛みから。深川とロデ ィカ・シミオンは、この役でシュトゥットガルトやルクセンブルグでカンパニーとともに 客演し、大成功を収めていた。今、ここナショナル・シアターで、この演目の主役として 本拠地デビューを果たし、大成功をさらに盛り上げる瞬間が訪れるはずだったのである。
「最初のヴァリエーションはとても上手くいった。幸せ以上だった。ついに、長く待ち望 んだ大チャンスがやってきて...」と深川は日曜日にAZ新聞に語った。
次のことは確認されるべきだろう;深川秀夫はこの事故まで、ベストなコンディションに あり、芸術的にも熟し、ロマンティックで男らしい輝きを放って、自己を表現していたの である。そして、その計り知れない跳躍力もいつものように。 彼のコーラスは、嵐のようにミュンヘンの観客を征服したのである。 アキレス礎の怪我は、深川を何カ月も舞台から遠ざけるであろう。彼自身は9カ月と見て いる。日曜の夜、彼は寝台章でアールフスのトマーソン教授のクリニックへ運ばれた。ト マーソン教授はデンマークの外科医で、多くのバレエダンサーが診察してもらうことを夢見るほど、実際、多くのバレエ界のスターたちの治療に成功している。ペーター・ブロイ アーのアキレス腱も然り。 しかし、全てが上手くいったとしても、このミュンヘンの日本人は彼のキャリアの貴重な 一年を失うことになった:「僕はパリのグランド・オペラにも客演の予定だし、ロンドンも。 8月にはアメリカも。」
この深川秀夫の恐ろしい事故は、ダンサーという職業が、危険な、危険にさらされた芸術 的な職業であると、再び我々に明らかにして見せた。 ダンサーは、とても長い、大変な節制を強いられる、高いコストの教育を受け、しかし、 短いキャリアしかなく(たいてい 40歳にもなれば終わってしまう)、高い水準のプロスポー ツ選手のように毎日、トレーニングしなければならない。そして、月給は、歌手であれば、
一晩、出演するにも足らないほどである。ダンサーは毎舞台すべてにリスクをかけている のである。 我々に残されるはひとつ:この理想主義者・イデアリストとしか他に呼びようのない人た ちを前に、敬意を持って帽子をとろう。
カーステン・ペーターズ