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トゥでトップへ : 「金色の 12点」をめぐる旋風 (1970)
ヴァルナの夏・・・それは:青い海と青い空 : しかし、「ヴァルナの夏」というのは同時に: 2年に一度・・・多くの芸術的な催しの最高潮・・・海水浴と港の街、ヴァルナには、モス クワと互いに名を分かち合う国際バレエ・コンクールがある。全ての大陸の 17 の国から若 いトップ・ダンサーたちがトゥの上で世界のトップを競い合う (参加者の年齢制限:28歳) ため、シルバーグレーのジェット機で夏の美しい、熱い太陽のサファイア色の海岸にやっ て来た:「金色の12をめぐるバレエ旋風」は、7月12日から25日まで 13日間を要する。 野外劇場の舞台床板は、およそ 100 のパ・ド・ドゥ競争者の跳躍や回転やピルエットで、 震動した・・・というのは、3次選考の末に、全てのトレーニングの苦労とコンクールのス トレスを「金色に変える夢の点数」は、魔法の点数 12,00なのである。全ての参加国から 最高の人間が送られるこの世界コンクールでは、一次選考の7,00点の壁を越えるのは、 素晴らしい賞賛と同等なのである。高名なガリーナ・ウラノワが・・・世界のバレエのト ップクラスの能力を持つ人々に並んで・・・東ドイツの代表として国立歌劇場バレエ・デ ィレクターで素晴らしいダンサーのクラウス・シュルツを審査員に推挙しているのは、知 られたことである。彼が、ヴァルナの「熱い」日々に喜びを感じたのは理解できる。彼の アンサンブルのギールト/ドライヤーのペアや、プライス/ヤーンのペア、コミッシュオペラ のトレーニング・マスターのユルゲン・シュナイダー(左の写真)によってコンクールの 準備を整えられたルビッツ/クメルニツキーとウルバン/深川(上の写真)が全員、第二次予 選を突破し・・・そして、さらには、22歳の名古屋(日本)に生まれた深川秀夫は、銅メ ダルと銀メダル(1968 年と 1969 年のヴァルナとモスクワ)の勝利の後、技術的、芸術的 になお一層、能力を高めるために、確固たる名前が世界に知られたコミッシュオペラに来 た。そして、健康面のハンディキャップ(胃カタルと筋肉の筋違い)にもかかわらず、3回 の審査全でで高い点数で前に立ち、最終的には 10,88で勝利者の座についた(銀メダルで トップ:金は該当者なし)。パートナーのカティ・ウルバンとの200年前の古典のパ・ド・ ドゥ「リーズの結婚」とオーベルの「古典的グラン・パ・ド・ドゥ」の後で、深川秀夫は (彼の才能について、ソ連のバレエ有名人、プリセツカヤは言った:50年に一度あるかな いかの才能だと。)審査員の決定にたった一度、跳躍のヴァリエーションを踊るだけでよか った。秀夫のアンサンブルの同僚のプリマバレリーナ、モニカ・ルピッツも最後まで戦 い、6位を手に入れ、ジゼルでのパ・ド・ドゥで特別賞を受けた:彼女のパートナー、イス ランダー・クメルニツキーは(ボリショイ・バレエのソリストで、現在はコミッシュオペ ラのアンサンブルの団員)偉大なるウラノワの手ずから、尊敬される名誉ある「ベスト・パートナー賞」を受けることができた。
(H.ペルツァー)